iACITYで今、密かに注目を集めているキーワードが「デジタルタトゥー」だ。かつて投稿したSNSの一言、誰かに送ったメッセージ、検索履歴、買い物の記録——
すべてが「消したつもりでも、完全には消せない」記録としてネットのどこかに残り続けているという。この都市では、個人の発言や行動がソル（信用スコア）に影響を与えるため、若気の至りが未来を左右することもある。
そんな中、「過去ログを消してくれる」という噂のデータ削除業者が登場。果たして、記録は本当に消せるのか？そして、市民はこの“見えない恐怖”とどう向き合っていくべきなのか。
消えないログ、記録され続ける日常
iACITYでは、市民のあらゆる活動が日々ログとして蓄積されている。買い物の履歴、公共交通の利用、フォーラムでの発言、いいねやリポストの履歴に至るまで、その多くが「信用記録」として保存され、必要に応じて閲覧・評価される仕組みがある。表向きには「透明性の確保」や「治安維持のため」とされているが、市民の間では「本当に自分の情報を消すことはできるのか？」という不安が根強く存在している。
情報統制中枢機関の一角、「セントラルアーカイブ」は、都市内の記録を一元的に管理する膨大なデータベースを持つとされている。削除申請はできるものの、その実態はブラックボックス。削除されたかどうかを確認する手段は市民には与えられておらず、「削除されたように見せかけて、裏では保管されている」といった噂も後を絶たない。
記録は、ただ残るだけではない。AIによる自動評価システムが過去の発言や行動を解析し、ソルの変動にも反映される。「もう済んだはずの過去」が、いつまでも評価に影響し続けるこの社会で、誰もが一度は「記録されることの恐ろしさ」を痛感している。
“消す”というビジネス——グレーゾーンで動くデジタル消去業者
そんな不安の広がりとともに、iACITYの一部で静かに広がっているのが「データ削除代行」という新たなグレー産業だ。彼らは、セントラルアーカイブや民間クラウドに残された個人記録を、依頼者の代わりに“見えなくする”と称し、高額な報酬と引き換えに痕跡を消すサービスを提供している。
もちろん、これは合法ではない。アクセス権を持たないシステムへの侵入、アルゴリズムの改ざん、ログの書き換え…そのどれもが違法行為にあたる可能性がある。しかし彼らは「記録を完全に消すのではなく、“別の記録に塗り替える”だけ」と主張する。たとえば、過去に書き込んだ過激な発言を、当たり障りのない内容に“上書き”してしまうという手法だ。
こうした業者の中には、元アーカイブ職員や元情報管理官といった経歴を持つ者もおり、裏ルートでしか手に入らないデータアクセスキーを持つという噂もある。だが、彼らの仕事が成功したかどうかを確かめる方法はない。つまり依頼者は、「本当に消えたのかどうか分からないものに大金を払っている」ということになる。
それでも、市民は彼らに頼らざるを得ない。過去の言葉や行動が、将来の就職、恋愛、信用取引にまで影響を及ぼす社会では、「何もしない」という選択がむしろリスクになるからだ。
デジタルタトゥー社会で生きるということ
この都市で生きる限り、私たちは常に「記録されること」を前提に生活している。たとえ一時の感情で書いた言葉でも、それが後になって「不適切」と判断されれば、ソルに影響を与え、社会的信用が失われる可能性がある。「やり直しがきかない社会」という言葉が、皮肉ではなく現実として浸透しつつあるのだ。
だが、本当に必要なのは「すべてを消す技術」なのだろうか。ある情報哲学者はこう語る。「忘れられる権利ではなく、赦（ゆる）される文化こそが、次の社会には必要なのです」と。記録が完全に消えなくても、そこに過ちがあったことを許容し、成長の証として受け入れる社会。そんな価値観の転換が求められているのかもしれない。
セントラルアーカイブの奥深く、どれだけの“過去”が静かに眠っているのだろう。誰にも見られないと思っていたあの発言、忘れられたと思っていたあの記録。それらが、ある日ふと再び浮かび上がるかもしれないこの都市で、私たちは今日もログを残しながら生きている——。
住民の声