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森を越えて、刃が応える──未界域のにじみと誓いの騎士たち

ゴブリンに襲われる少女

森が、呼吸をやめていた。

地域探索エリアの奥地、ディスカバリーゾーンをさらに進んだ先にある“封印の古道”。地図にもほとんど記されていない道を、私は探索ルートから外れて歩いていた。

もともとこの道は、かつて地域探索機関の黎明期に使われていた補助搬送路らしいが、今は立ち入り制限の対象エリアに近接している。にもかかわらず、簡易なゲートには封鎖の痕跡がなかった。

風も、音も、鳥の声さえもない。空気だけが重く、肌にまとわりつくようだった。

足元に広がる枯葉の層を踏むたびに、古びた魔力の痕がかすかに反応する。マナが“沈黙している”場所では、時として魔物が近づいている兆候とされる。

けれど、私は確かめずにはいられなかった。

空の色が、少しだけ深く沈んで見えた。

地表の草はしおれ、苔が剥がれ、樹木の幹には見慣れない裂け目がいくつも走っていた。生態系がゆっくりと壊れている。

それが、未界域の“にじみ”によるものだと直感でわかるようになったのは、きっと取材を重ねすぎたせいだ。

このときの私は、まだ知らなかった。

この道の先に、自分を飲み込もうと待ち構えていたものの存在を──

気配に気づいたのは、音じゃなかった。

背筋を撫でるような冷たい視線。

脇に伸びる獣道の陰から、それはじっとこちらを見ていた。

背丈は大人の半分ほど。だが、片手に握られた鉄片と、腰にくくりつけられた骨の装飾が“ただの野生動物”でないことを示していた。

目は鈍く光り、鼻がくんくんと空気を嗅いでいる。

間違いなかった。

ゴブリン。

それも、群れを偵察する役割を担う“先駆種”だ。

息を止める。

しかし、遅かった。

こちらの気配に気づいたそれは、鋭く叫び──すぐさま茂みの奥から別の影が動いた。

一体ではなかった。最低でも三体。

逃げ道を囲むように位置を取っていたのは、偶然ではない。彼らは知っていた。誰かが、ここへ来ることを。

私は反射的に走った。

古道を逆走する。足場は悪く、視界も効かない。振り返れば、木々の間をすり抜けて追ってくる気配。

ゴブリンは速い。しかも、驚くほど静かだ。

枝が頬をかすめ、呼吸が荒くなる。

どれだけ走ったかわからない。ただひとつ、確かに思ったことがある。

(今日は帰れないかもしれない)

足がもつれ、倒れ込んだ瞬間だった。

背後から迫っていた足音が、一斉に止まった。

理由はすぐにわかった。空気が張り詰め、マナが震えるのがわかったから。

「この先は、騎士の領分だ」

深く響く声とともに、目の前を横切る光。鋼の刃が軌道を描き、空中で火花が散った。

その瞬間、茂みから飛びかかろうとしていたゴブリンの影が、弾かれたように吹き飛ぶ。

そこにいたのは、誓騎士団。

黒と銀の重装に身を包み、鎧には“iAの紋章”が刻まれていた。その姿は威圧的でありながら、どこか祈るように静かだった。

彼らの剣は、ただ斬るためのものではなく、“誓い”によって導かれる信仰の刃。

ゴブリンたちは本能でそれを察知したのか、低く唸りながら森へと退いていった。

「市民か?……運が良かったな」

目元だけが露出された騎士の一人が、私を見下ろしていた。その目には、憐れみでも安堵でもない、ただ“確認する者”の視線があった。

彼らは私を守るためにそこにいたのではない。

それが“誓いの道”であったから、そこにいただけだ。

私は息を整えながら、森の奥を見た。

そこには、ゴブリンの爪痕と、ほんのわずかに残る“黒い痕”──未界域の瘴気にも似た、ざらついた空気が漂っていた。

しばらくして、現場は騎士団によって封鎖された。

私はその場で簡単な医療処置を受け、念のためのマナ安定剤を打たれたあと、森の入り口付近まで同行させられた。

何も問われなかった。記録も求められなかった。

けれど、その無言こそが、もっとも多くを物語っていた。

普通なら、非武装の市民が未界域に近いルートで魔物に遭遇したとなれば、調査報告か一時拘留が入ってもおかしくない。

なのに、誓騎士団はそれをしなかった。

──あるいは、あえてしなかったのかもしれない。

私はその夜、帰宅してから持ち物の確認をした。

録音端末は途中で停止していた。録画記録も破損している。

だが、一つだけ残っていた。

外套の裾に付着した、小さな泥の塊。その中に混じっていた、明らかに自然ではない光を持つ黒い結晶。

これが何なのか、今はまだわからない。

けれど、それが“あのゴブリンたちがただの魔物ではなかった”という証になることだけは、直感で理解していた。

彼らは偶然、そこにいたのではない。何かを“運んでいた”。何かに“導かれていた”。

それがどこから来たものなのか、どこへ向かっていたのか。

すべては、あの“沈黙した森”に置き去りにされていた。

翌朝、私は再びディスカバリーゾーンの境界線近くを歩いた。もちろん立入は禁止区域に近く、監視ドローンの反応もあったが、それでも確認したかった。

あの場所が、今どうなっているのか。

そこには、昨日までなかった結界杭が打ち込まれていた。簡易式の空間封印術式が施され、地面には“未界警戒域”の刻印。

つまり、騎士団は昨夜のうちにこのエリアを“未界域の影響下”と判断し、暫定的な隔離処置を取ったということだ。

未界域の“にじみ”──

それは、境界線そのものが物理的に破られたわけではない。マナの流れがごく僅かに反転し、空間の情報密度が変化することで“こちら側”の風景に“あちら側”の性質が滲み出してくる現象を指す。

この現象は、かつてアーカイブシティ南端で発生した“思念霧”の前兆にも似ていた。

だが、今回は拡散ではなく“接触”だった。

森に現れたゴブリンたちは、にじみ出た魔力に呼応したのか、あるいは何かを追ってこの境界を越えようとしていたのか。

そのどちらか、あるいは両方。

そして、彼らが手にしていた武器と装飾には、未界域の古語と同じ文字が刻まれていた。それはもはや、偶然ではなかった。

いま、境界は揺れている。それは自然の摂理によるものか、人為的な何かか──

その判断をするには、まだ材料が足りない。けれど確かなのは、“誰かがその境界に手をかけている”ということだ。

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