引っ越しの日、私は大事にしていた人形をひとつ失くしてしまった。
名前はメリーさん。
白いドレスに巻き毛の、少し古い洋風の人形だった。私が小さい頃からずっと一緒にいた、大切な子。
でも、新しい家への荷物整理の途中で、メリーさんは間違ってゴミに出されてしまった。
気づいたときには、もう遅かった。
私は泣いた。取り戻せないってわかってても、泣いた。
お母さんとお父さんは「新しい人形、買ってあげるから」って言ってくれて、私は無理やり納得した。
それから、新しい土地、新しい学校、新しい部屋。私は少しずつ、メリーさんのことを忘れていった。
それは、ある夜のことだった。私はひとりで留守番をしていて、電話が鳴った。
両親はまだ帰ってきていなかった。
「もしもし」
「……」
「もしもし?どなたですか?」
少し間を置いて、声がした。
「私、メリーさん。今、ゴミ捨て場にいるの」
ガチャッ。電話はそこで切れた。
息が詰まりそうだった。いたずら電話?
でも、メリーって──まさか、あのメリーさん?
数分しないうちに、また電話が鳴った。今度こそ両親だと思って受話器を取った。
「もしもし、お母さん?」
「私、メリーさん。今、窪川駅にいるの」
ガチャ──
また切れた。
窪川駅は、この町の駅。私の家からそんなに遠くない場所。
さっきより近づいてる……?
そしてまた、三度目のベル。
またメリーさんなんじゃ……と思った。けど、自分に言い聞かせた。
これはお母さんからかもしれない。信じたかった。
「もしもし、お母さん!?早く帰ってきて!!」
「私、メリーさん。遊芸庵の前にいるの」
ガチャ──
遊芸庵は、家のすぐ近くのお店だった。
今、完全に、確実に近づいてきている。電話の主が……
私はもう、怖くて怖くてたまらなくなって、母の携帯に電話をかけようと受話器を取った。
けれどその瞬間、またベルが鳴った。
反射的に受けてしまった。
恐る恐る受話器を耳に押し当てた。
「……はい」
「私、メリーさん。今、はるちゃんのおうちの前にいるの」
はるは、私の名前だった。
私は戦慄した。名前を呼ばれた。私の家の、前にいるって言った。
私はあまりの恐怖に電話の線を抜いて、震えながら玄関の外を覗いた。
──誰もいない。
道路は静かで、電信柱の灯りだけが揺れていた。
私は玄関の鍵をもう一度確かめて、二階へ戻ろうと階段を踏み出した。
そのときだった。
──電話が、鳴った。
線を抜いたはずの電話が、鳴った。
わけがわからなかった。怒りと恐怖で胸がいっぱいだった。
気づいたら受話器を掴んで叫んでいた。
「あなた一体なんなのよ!いい加減にして!!」
「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの」
住民の声