🎙️ アイリスは只今、自宅で引きこもり中です

魔除けポーションは50ラヴ

街を抜けた二人は、ルーヴェ平原の広がる景色の中を歩きながら、やがて人気のない草地の片隅にぽつりと口を開ける洞窟へと辿り着いた。

洞窟の入口は、草に覆われた小さな丘の影に隠れるようにひっそりと佇んでいる。薄曇りの空の下、内部を覗き込むと、昼間にもかかわらず洞窟の奥はシンと静まり返っている。

「ここだね」

「ねぇ、アイリス。本当に大丈夫……?」

「私、魔物に襲われたくないからね?」

リィナが不安げにアイリスの袖をそっとつまむ。

「う…うん……大丈夫!きっと大丈夫!」

そう言いながらも、アイリスの声には微かに震えが混じる。彼女は小さく深呼吸をしてから、手にしていたランタンに火を灯した。淡い光が闇を押しのけるように、じわりと洞窟の奥へとしみ込んでいく。

アイリスが先頭に立ち、一歩、また一歩と洞窟の中へと足を踏み入れる。リィナはアイリスの背中にそっとついていきながら闇の向こうに視線をやる。

心細さと、ほんのわずかな期待を胸に、二人はゆっくりと静かな洞窟の奥へと歩みを進めていった。

「ねぇ、アイリス。ここに何の素材があるの?」

リィナが小声で問いかける。洞窟の奥に進むごとに、彼女の不安が声の端ににじみ出している。

「解毒薬の存在は知っていたけど、素材までは知らないの」

アイリスが振り返ると、リィナは少しだけ唇を噛んで頼りなさげにうつむいていた。

「ん〜と確か、私の情報網によると……」

「ゲンキデ草だったかな?」

「ゲンキデ草?おかしな名前ね」

リィナが苦笑いを浮かべるとアイリスもつられて肩をすくめる。二人の緊張が少しだけ和らいだ。

そんな空気の中、二人は足元の石を踏みしめながらゆっくりと進んでいく。

洞窟の奥へと進むにつれ光の届かない闇が濃くなり、空気がひんやりと体を包み込む。50メートルほど歩いた頃、アイリスがふいに立ち止まった。

「ねぇ」

「どうしたの?」

リィナが[[rb:怪訝 > けげん]]そうに答えると、ランタンの淡い光の中、アイリスは声を潜めて問いかけた。

「リィナって……処女?」

「な、なななな、なっ、なにっ……なにっ……なに言ってるのっ!」

リィナの声が洞窟内に響く。
真っ赤になった頬が耳まで染まり、体温が一気に上がったように全身が熱を帯びる。

アイリスはいたずらっぽく笑ってリィナの顔をじっと見つめる。視線が合うとリィナはあわてて目をそらした。

「そ……そそそそ、そ、そんなわけ……」

「そんなわけ?」

「そんなわけ……」

「……ある?」

アイリスが少し身を寄せて、からかうように首を傾げる。その熱のある距離にリィナはさらに赤面し、唇を小さく噛む。

「……ぅ……///」

心臓の鼓動が胸の奥から響いてくる。
下腹がきゅっと縮こまり、思わず両手を握りしめてしまう。

「あ……アイリスはどうなのよっ!」

必死に声を張り上げ、リィナはアイリスの顔を見上げる。目元には涙のような光がにじんでいる。

「私?私はもちろん──」

そのとき、足元の石陰に淡く白い輝きが現れる。

「あ!リィナ見て見て!これだよ!」

「ちょっと!アイリスっ!」

ランタンの明かりが照らした先に、湿った岩の隙間から淡く白い光を放つような薬草がそっと顔を覗かせていた。その葉先にはわずかに露がきらめいている。

「これがゲンキデ草かぁ」

アイリスが膝をつき、そっと薬草に手を伸ばす。
その声にリィナも隣に屈みこむ。

「小さくて可愛いね♡」

二人してしゃがみ込み、小さな白い薬草をじっと見つめる。葉の先にのった露が、ランタンの光を受けて小さく揺れている。

その静かなひととき、洞窟の奥からふいに、ざわりと湿った空気が動く。形にならない何かの存在が、暗闇の向こうからじわじわと近づいてくる。

気配──

リィナの背筋を冷たいものが這い上がる。リィナはぎこちなく顔を上げ、肩ごしにおそるおそる後ろを振り返った。

「あ、あ、あああ……アイリスっ!」

かすれた声で訴えかけるリィナ。
声が微かに震えて、今にも泣き出しそうな表情になる。

「見てるとなんだか元気出そう♡」

そんな緊張もどこ吹く風と、アイリスは薬草に夢中なままだ。

「アイリスっ!!!」

リィナが悲鳴のような声を上げる。

「なに?どうしたの?」

アイリスがようやく振り返り、ランタンの光を洞窟の奥、闇の中に向けると──

岩壁の隙間から覗くそれは、どこか人間にも似ているが、腕が異様に長く、背は縮こまり、膝を大きく折り曲げて歩いている。目がギラリと光り、ねっとりとした舌を突き出して、じゅるりと唾を飲み込むような音が静かな空間にひどく生々しく響いた。

「あ、あわ、あわわ……」

リィナが喉を詰まらせ、アイリスの袖をぎゅっと掴む。その肩越しに、影はじりじりと近づいてくる。

やがてランタンの光が、その正体を照らし出す。緑色の肌に皺が寄り、異様に大きな耳、鼻先をひくひくさせたゴブリンだった。ゴブリンは興奮したように鼻息を荒くし、舌をだらりと垂らして二人を舐めるように見ている。

「こ、来ないでっ!」

リィナが震える声で警告するが、ゴブリンはその声にさらに興奮するように、舌で唇をぬぐいながらじりじりとにじり寄る。視線は明らかに女の体を貪る色を帯びている。

圧迫感に足がすくみ、アイリスもリィナも思わず後ずさり、尻もちをついた。岩の冷たさがじかに伝わってくる。

──その瞬間、アイリスのポーチから「カチン」と硬質な音が鳴った。

(あ……!)

アイリスは弾かれるようにポーチを漁ると、小さなガラス玉を手に取った。

「これでも食らえー!」

ポーションのガラス玉を力任せに投げつける。魔除けのポーションはゴブリンの股間にチ〜ンという音と共に直撃し、パリンと小気味いい音を立てて砕けた。

次の瞬間、割れたガラス玉の中からもくもくと白い煙が立ち上る。煙はゴブリンの股間から広がり、刺激臭とともに洞窟いっぱいに充満した。

「プギャァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!」

ゴブリンはたまらず呻き声を上げ、慌てて体をよじるとそのまま洞窟の出口へ向かって転がるように逃げていった。

静寂が戻り、二人の間に残ったのはわずかに漂う薬草の香りとお互いの荒い息遣いだった。

はぁ……はぁ……

洞窟の薄闇の中、二人の呼吸だけがしばらく残る。背中にじっとりと汗が滲み、足元の小石が転がる音がやけに大きく響いた。

「あ、危ないところだったね……」

アイリスが息を整えながら明るく声をかける。その声の調子にようやく現実感が戻ってくる。

(……なんでわざわざ股間を狙ったのかしら)

リィナはふとそんな疑問が頭をよぎったが、言葉にはできず、もやもやと胸の奥で揺れる。

「早くゲンキデ草を採ってここから出よう!」

アイリスが立ち上がり、薬草へと手を伸ばす。ランタンの光の下、ゲンキデ草の葉先がまだ微かに震えている。

「う……うん」

リィナも頷いて、震える指先で薬草を一掴み丁寧に摘み取った。二人はそそくさとゲンキデ草を袋に収めると急いで洞窟の出口へと向かう。

外の光が見えたとき、ようやく二人の肩から緊張が解けた。洞窟を振り返りながら、彼女たちは深く息をついて、胸の奥に残るざわめきをそっと押し隠した。

「ふぅ〜、生き返った〜!」

外の光と空気を全身に浴びてアイリスが両手を上げる。洞窟の湿気や重い空気が背中から一気に抜けていくようだった。

「アイリス!やっぱり危険じゃない!」

リィナが顔を真っ赤にして怒鳴る。その声には、さっきまでの恐怖が少しだけ混じっている。

えへへ……

アイリスは舌を出して苦笑いし、バツの悪そうに肩をすくめる。

「でも、あの魔除けのポーション、ちゃんと効果があったね!」

(……あれは、違うような気もするけど)

「そ、そうね。50ラヴの価値はあったんじゃない?」

リィナが胸元の袋を撫でるようにしながら小さく頷く。

「そうだ、50ラヴもするんだった!」

アイリスは、はっとしたように顔を青ざめさせる。

「使わない予定だったのにぃ〜」

頭を抱え、その場にしゃがみこんで肩を落とす。

はぁ……

リィナは小さくため息をつくと、アイリスにそっと近づいた。そして、彼女の頭を優しく撫でる。

「でも、ありがとう、アイリス。あなたのおかげで助かったわ」

リィナはふいに、アイリスのほっぺに柔らかくキスをした。アイリスの顔は一気に真っ赤になり、耳まで熱が広がる。

「…ぅ……ぅん…///」

照れ隠しのように小さく呟いて、アイリスは立ち上がった。

二人は並んで歩き出す。
陽の傾きはじめた平原の上、街への道をゆっくりと進んでいく。

──その様子を、遠く木陰の奥からギラリと光る小さな目がじっと見つめていた。

ゴブリンは鼻先をひくつかせ、舌で唇をぬぐう。

(オ…オマエノ……ニオイ…………オボエタ…ゾ)

今、アイリスの物語が静かに動き出した。

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