iACITYのニュースは、今やその大半がAIによって自動生成されている。正確で速く、感情を含まない“中立な情報”として市民の間に浸透してきたが、近ごろ「どこか腑に落ちない」と感じる声が増えている。
事実は書かれている。けれど、なぜか肝心なことが書かれていない。あるいは、違和感のない言葉が、なぜか妙に“無難すぎる”。果たして、私たちはこの情報をどこまで信じていいのだろうか?
AI記者が伝える未来のニュース。その中に「真実」はあるのか。それとも、これは新しい形の“演出された報道”なのか——。
情報統制と自動化——AI記者が生まれた背景
AIがニュースを作るようになった背景には、情報爆発の時代におけるスピードと正確性の要求がある。毎日膨大な量の出来事が発生し、それをすべて人間の記者が追い、書き、編集するには限界があった。そこで登場したのが、自動生成エンジン“ChronoType”。導入当初は天気、交通、経済指標など、事実ベースの速報を専門としていたが、次第にスポーツ記事、事件報道、社会情勢の分析までを手がけるようになっていった。
情報統制中枢機関の主導でこのシステムは都市全域に導入され、現在では市民に届けられるニュースの7割以上がAI製とも言われている。「中立で偏りがない」という触れ込みは、多くの市民に安心感を与えたが、その裏でひとつの懸念が芽生えていた。
それは、AIによる“事実の選別”が、透明ではない誰かの意図に沿って行われている可能性だ。AIは学習と命令によって動く。つまり、何を書くか、何を書かないかは、あくまで「教えられた基準」に依存しているのだ。どれだけ自然に見えても、そこにあるのは“編集された中立”にすぎないのかもしれない。
書かない自由、書けない限界——AIは何を“見落とす”のか
AI記者は膨大なデータを整理し、論理的かつ正確に文章を構築する。だがそれは、与えられた情報と命令の範囲内でしか動かないという大前提の上に成り立っている。つまり、AIは「嘘をつかない」かもしれないが、「あえて語らない」ことはあるのだ。
特に、政治的にセンシティブな話題や、都市の深部に関わるテーマ、iAやマナに関する不可解な現象などについては、表現がぼやける、あるいは扱われないことが多い。AIが出力する記事には、意図的な嘘はない。だが、真実が「触れられないことで消える」ことは、意識されずに起きている。
市民の中には「AIが書かなかったことこそが、本当に知るべき情報なのではないか」と考える者も増えている。ニュースはいつの間にか、「読むもの」ではなく「読み取るもの」へと変化しつつあるのかもしれない。
人間のように“気になることを深掘りする”ことも、“偶然の違和感にひっかかる”こともないAI。それは効率的で冷静であると同時に、あまりにも従順で無関心な記者でもあるのだ。
市民が選ぶ“真実”とは?人間記者とAIの共存は可能か
iACITYの情報環境において、AIニュースは「安全で便利な情報源」として機能している一方で、“何かが足りない”と感じる市民が少しずつ増えている。彼らはSNSや非公式フォーラム、そしてストリートジャーナリストたちの手記や音声レポートに目を向け始めた。そこにあるのは、不器用で断片的だけれど、確かに“現場の温度”を伴った情報だった。
とくに注目されているのが、個人で活動するストリートジャーナリストたちの存在だ。彼らは事件現場や市民集会の中に入り、直接話を聞き、自分の言葉で語る。AIが生み出す整った文章にはない、「語りの揺らぎ」や「感情の温度差」が、人々の心に残るのだ。
また、AIの文章は文法的には完璧でも、時に“意味の空白”を残す。そこに違和感を覚える市民たちは、情報をそのまま信じるのではなく、「何が書かれていないのか」「なぜ今この情報が出たのか」といった読み解く力を求められるようになってきている。
AIと人間、どちらが真実に近いかではない。むしろ、両者の情報をどう受け取り、どう咀嚼するかが、今の市民にとっての“報道との向き合い方”になりつつある。
AIニュースの先にあるもの——信頼と自由のあいだで
情報が大量に流れる時代、私たちは「速くて正確なニュース」を当然のように受け取るようになった。けれど、その精密な情報の中で、本当に知りたいことは伝えられているだろうか?という問いが、静かに広がっている。
AIは偏らない。だが、それは「意見を持たない」という意味でもある。何を問題とし、何に怒り、何に涙を流すか。そうした人間的な視点は、どれだけ高性能なアルゴリズムでも再現しきれない。情報は中立であるほどに、どこか空虚で、誰の心にも寄り添わないものになる。
では、信頼とは何か。それは事実の正確さだけでなく、「誰が、どのように語ったか」に宿るものかもしれない。自動化が進むこの都市で、私たちは情報を受け取るだけでなく、その背後にある意図を読み取る視点を持ち続けなければならない。
未来のニュースは、AIが作り、人が読むものだろう。けれど、そこに本当に価値を宿らせるのは、その情報とどう向き合うかを選ぶ市民の意志なのだ。
住民の声