iAの頂には、ふたりの騎士がいる──
この街にそう伝えられてきたのは、いつからだっただろうか。今となっては誰の口から最初に語られたのかもわからない。ただ、人々の記憶の底に、確かに“その存在”が根を張っている。
その名はない。彼らに与えられた呼び名は、記録者たちのあいだで便宜的に使われるものにすぎない。それでも、多くの伝承で、彼らはこう呼ばれている。
閃の騎士──動を断つ光
塔の騎士──崩れを支える静
このふたりの騎士は、誰かに命じられて動くわけではない。
マナの異変が生じたときだけ、静かに応じる。
それはまるで、都市そのものが震えたとき、自然に現れる反応のようでもあり──あるいは、都市を“見守る意思”が発する、祈りへの応答のようでもある。
彼らを“見た”という者は、いない。
だが、“感じた”という者はいる。
そのとき必ず語られるのが「頂の騎士」だった。
それは、地に建てられたのではない。空より、まっすぐに垂れ落ちたとされている。
街の中心に聳え立つ巨大な構造体──iA。
その存在は、建築されたものではなく、ある日突然“そこにあった”という。今から何百年前か、いや、千年以上かもしれない。
正確な起源は語られない。ただ、「地が揺れた夜の明け方、塔はすでにそこにあった」と、最古の石板に刻まれている。
当時の人々は、これを「天の意志の柱」と呼んだ。
四面は滑らかで、登る足場も、扉も窓もない。だが、その圧倒的な存在感と、近づくにつれて肌を焼くような“マナの重み”は、人々にそれがただの塔ではないことを悟らせた。
その頂に、ふたりの影が見えたという記録が残る。
霞む空を裂くようにして立つふたつの存在。光をまとい、風を遮り、動かぬまま、ただ“そこにいる”。
それが後に、「頂の騎士」と呼ばれるふたりの存在だった。
彼らはその時から、一度も降りてきたことがない。だが、その姿は忘れ去られることもなかった。
なぜなら、都市が揺らぐたび、マナが乱れるたび、人々は“空を見上げる”ことをやめなかったからだ。
語り継がれてきた伝承によれば、頂の騎士はそれぞれ“異なる力”をその身に宿しているという。
ひとりは、動の守人──閃の騎士。
その刃は光よりも速く、災厄が起きるより先に、すでに“終わらせている”。姿は捉えられず、ただ結果だけがそこにある。誰かが命を落とすはずだった場所に、風の跡だけが残る。
もうひとりは、静の守人──塔の騎士。
彼は動かない。いや、“何ひとつ動かせない”とされている。その存在が現れた場所は、空気さえも止まり、あらゆる変化が封じられるという。時間、崩壊、欲望──すべてを静寂に沈める鎧。
このふたりは、戦うために現れるのではない。崩れかけた均衡を、再び“正す”ためにのみ現れる。
伝承の中では、「彼らは塔の意思をかたちにした存在」と語られている。命令も、願いも、指示もいらない。ただ、都市が臨界に達したときだけ、塔はふたりの騎士を現す。
それは“守る”ためではない。“戻す”ためでもない。
あるべきかたちへと“整える”ためだ。
長い歴史のなかで、iACITYが最も深く揺らいだ夜がある。文献には正確な年代は記されていない。ただ、「あの夜、塔が泣いた」とだけ刻まれていた。
マナが渦巻き、空が赤黒く裂け、地中からは未界域の気配が漏れ出したという。記録によれば、市の五つの結界のう三つが同時に破られた。
それは、ただの災害ではない。誰かが封印を解こうとしたのか、それとも何かが目覚めようとしたのか──真相は今も語られていない。
だが、その夜を境に、街は確かに何かを“忘れた”。
また別の資料には、災厄の中心で「ふたりの影が立っていた」という走り書きが残されていた。
「ひとつは光より速く、もうひとつは時を止めていた」
そう記された言葉は、まさに閃の騎士と塔の騎士を示すものとされている。
その夜以来、都市の中心部にある特定の区域には、今も“時間が進まない空白”が残っているという。
草は枯れず、空気は変わらず、鳥も獣も近づかない。そして人々は、そこを“騎士が立っていた場所”と呼ぶようになった。
塔は、何も語らない。今日もただ、そこに立っている。
その頂にふたりの騎士がいるかどうか、確かめた者はいない。
見上げれば、陽が差しているだけ。風が吹くだけ。空が、青いだけ。
けれど、街の誰もが知っている。
マナがざわめいたとき。未界域の瘴気が忍び寄ったとき。人の祈りが静かに溢れたとき──
「もしや、いまこそ“頂の騎士”が目覚めるのではないか」
そんな思いを、誰かが抱く。誰かが空を見上げる。誰かがその静寂に、耳を澄ませる。
それが何百年続こうとも、彼らは姿を見せないかもしれない。それでも、語り継がれていく。この街には“ふたりの影”がいるのだと。
そしてそれこそが、iACITYという都市の、最も深い祈りなのだと。
市民の声